東日本大震災

更新日:2017年3月18日

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東日本大震災は2011年(平成23年)3月11日(金曜日)に発生した、最大震度7・マグニチュード9.0の大地震です。震源は宮城県沖でした。こちらのページでは実際に東日本大震災を経験された方々の体験談をご紹介しております。

体験談

●●2011年3月11日の東日本大震災が発生した時、私自宅にいました。今までの人生であれほど強い揺れを経験したことは無かったので、これは最悪の結果になる大事件に今まさに巻き込まれてしまっているのではないかという恐怖を感じ、正直、死というものすら頭をよぎりました。

幸いなことにしばらくすると揺れは収まり、家財が多少移動していたり、細かなモノが崩れたり、本棚の本が床に落ちて散乱していたりということはありましたが、私自身はかすり傷一つ無く五体満足な状態で乗り切ることができました。

それでも、マンションに住んでいるので外の無機的な警報音がしばらく鳴りっぱなしだったり、家の外では人々が大声で安否確認をしたりで騒がしく、テレビをつければどの局も緊急生中継で東京の街並みをヘリコプターで空撮していて都内何か所から煙が上がっているのが確認できたりしました。

揺れが起きている間は恐怖心でそれどころではなかったのですが、少し落ち着いてから、「これはただ事ではないんだな」「大変な事になった」という何ともいえない焦燥感と不安で胸がドキドキしていたのを今でも鮮明に覚えています。

この感覚は、2001年の9月11日にアメリカのニューヨークでテロリストにハイジャックされた飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだ全米同時多発テロを生中継でたまたま見ていた時の感覚に非常に近かったのが印象的でした。

結果的には日本の歴史上、他に例をみない程の大惨事となったわけですが、私個人のことを言えば、幸運にも家族や友人や知人で犠牲になった人はなく、今までと変わらない生活を送ることができています。

●●東日本大震災が起きたときに何が起こったのかわかりませんでした。丁度買い物をしていたのですが、店の電気が消えて静かになってしまったので、恐ろしさを感じました。長い地震が起きたことは分かりますが、その後のできごとは初めてだったのですごく怖かったです。

携帯電話を開いても発信ができず、どうしたらいいか考えて、子供のいる小学校に向かいました。子供は小学生と中学生なのですが、小さい子供のほうが不安だろうと思いまして車を走らせました。車で走っている途中も余震にあいまして、足が震えてきました。

止まったときに携帯電話が繋がって、主人と話ができたので、主人には中学校に向かうようにお願いをしました。小学校の体育館に全校生徒が集められていました。子供の安全がわかってとりあえず安心しましたが、いつまでこの状況が続くかということに不安を感じました。

一戸建ての自宅に戻っても電気はついていません。テレビがないので何が起きたのか全くわかりません。ふと思って携帯電話のテレビを見たのですが、地震があったという情報だけ。後に充電が切れてしまい携帯電話も使えなくなってしまいました。

東北でも津波の被害がない場所に住んでいるのですが、普段から地震が起きたらどうするか家族で話し合っておくといいと思いました。そしてしばらく食べれるように食べ物の確保を普段からしておくこと、水の準備など地震に備えをしておくことで安心ができると思います。

●●3月11日の大震災は本当に衝撃的なでき事でした。横浜に住む40歳の私は、幼き頃より関東大震災がそろそろ来るぞと脅かされながら育ってきたのですが、幸いなことに関東ではあまり大きな地震は起こっていません。

当日も自宅(戸建)にいましたが、地盤が固いおかげで、倒れたものもなくはじめは目眩がしているのかと思った程度でした。

小学校に通っている子供たちを迎えに行くべきか迷いましたが迎えにいき、帰ってテレビに映る東北の津波の映像に驚きました。主人の実家が仙台なのです。東京の会社にいる主人の携帯に連絡しましたが、もちろん通じません。災害メールでようやく6時すぎに連絡が取れました。仙台の実家も無事とのこと。

5時過ぎに出先から会社に戻り、固定電話から電話したら、なんと1発で出たらしいのです。停電はしているものの電話線につながっていたので、呼び出し音はかすかに聞こえる程度でしたが、たまたま近くにいて気がついたらしいのです。昔ながらのあまり機能のない電話機だったのがよかったのでしょう。

主人は会社に待機して帰らないものの、皆の無事が確認できたので安心できました。やはり動揺せずに冷静な行動をとるには、早急に家族の無事を確認できるそんな態勢が不可欠だと思いました。

●●強烈に記憶に残っている地震のイメージと言いますと、やはり2011年3月11日に発生した東日本大震災になります。あの日私はたまたま仕事が休みで自宅にいたのですが、共働きということもあって、妻は仕事で出ておりました。

地震発生時と発生直後は、自分の身の安全と火の元の確認など、自分の身の回りのことに頭がいっぱいなわけですが、揺れも収まり状況が飲み込めてくると、仕事に出ている妻の事がとても心配になりました。

すぐさま携帯に電話をしましたが、アクセスが集中しているのか携帯電話会社のインフラがシステムダウンしているのかはわかりませんでしたが繋がりません。

妻の職場は自宅から自転車で行こうと思えば無理なく行ける距離にありましたので、行ってしまおうかとも思ったのですが、避難などをして出会えなかったり、妻が急遽帰宅して家にいるはずの私が逆にいなかったりしたら、行き違いになってますます事態が混乱してしまうと思ったので、どうしようか悩んでいるうちに公衆電話で妻から自宅の電話に電話があり、無事が確認できホッと胸をなでおろしました。

幸いにも妻も私もスマートフォンを使っており、インターネットなどからTwitterなどは生きているという情報を得ていたので、公衆電話で電話をくれた際にTwitterで連絡を取り合おうと確認し、その後妻が帰宅するまではTwitterなどのWebサービスを使って連絡を取り合いました。

しかしながら、さほど遠くないところに住んでいる両親とは携帯電話が使えるようになるまでは結局連絡がつかず、心配しました。

年老いた親の世代にスマートフォンを持たせ、Twitterを教え込むというのはなかなか難しい面もありますが、防災という点では多少苦労しても頑張ってもらって最新の情報技術を最低限使えるようになって貰わないといけないと感じました。

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