芸予地震

更新日:2017年5月18日

芸予地震は2001年(平成13年)3月24日(土曜日)に発生した、最大震度6弱・マグニチュード6.7の大地震です。震源は安芸灘でした。こちらのページでは実際に芸予地震を経験された方々の体験談をご紹介しております。

体験談

●●西日本在住です。芸予震災の当日に瀬戸内地方の埋め立て地に立地する工場で、作業をしていました。当日はたまたま、日曜日か祝日で工場の稼働日ではありませんでした。当時、メンテナンスを担当していた私は、休日出勤で、工場のIT系の保守作業を行っていたのです。そこに震度5が起りました。

今では震度5では誰も驚かないかもしれません。ですが、それでなくても地震に不慣れな西日本の人間と云う事を割り引いてもらわなければなりません。当時は地震等、起こる事も想定していませんから、棚からはモノが落ちる落ちる。不安定な形態で置いてあるマニュアルや、その他、雑多のモノが、ばっさばっさと落ちてきます。

「このまま工場の中にいると死ぬかもしれない」と思い、頭をかばいながら工場の外に飛び出しました(後に、そのような形で飛び出すと、屋根からの瓦等の落下物に当って危険だと教えられました)。

さて、工場の外に飛び出て、目の当たりにしたのは液状化現象でした。

液状化現象自体は、阪神大震災でマスコミを通じて広く報道されていたので、知識だけはありました。ですが、自分がそれに巻き込まれるとは思ってもみませんでした。工場の敷地中に、ヒビ割れができて、海底のドロの様なモノがあふれ出しています。あたりは、ドブのような独特の臭気がただよっていました。

何とか、工場の責任者と連絡をつけて、安全な場所に集合。後始末が終わったのは、日付が変わった頃でした。今から10年以上も前の話です。この一件以来、地震保険に加入し続けています。住宅ローンのこともあっての加入でした。

●●前年の鳥取県西部地震で初めて大きな地震を体験したのに、次の年、芸予地震も体験しました。私たちの住んでいる街は震度4でした。結構揺れました。その時は家にいましたので、家族は全員家にいました。

外で庭の手入れをしていると、なんだかプランターが勝手に動いているのです。子供たちは部屋でお昼寝の時間でしたので、大型テレビの前で寝ていました。突然揺れが大きくなり、私はあわてて、家の中に走りました。

案の定、大型テレビは横に大きく揺れ、今にも子供たちの頭の上に倒れてきそうでした。あわてて布団ごとひっぱり、テレビのそばから離しました。あれが頭に倒れてきたら、きっと大けがをしていたでしょうし、最悪の事態も考えられたと思います。

今のような薄型テレビではなく、重たいブラウン管テレビでしたので、あんな場所にお昼寝させていたのはとても反省しています。それから、お昼寝は、なにも置いていない和室に変更しました。本当に怖かったです。

大きな家具類の場所もそれから変更しました。当時、婚礼ダンスのある和室が家族5人の寝室でしたが、寝る位置を変えたり、鏡台にチェーンを貼って転倒しないようにしっかりと固定しました。食器棚も横開きのものに変更しました。

●●2001年に起きた芸予地震を学校で体験しました。当時は高知県に住んでいて、高校生で校舎自体は築100年の古い建築物。震源からは離れていましたが、揺れはとても怖かった記憶があります。

地震発生当時は授業中で、直前に「ゴー」という空気の振動が耳鳴りのように聞こえてきて、教室のクラスメイトたちや先生が異変に戸惑い始めた瞬間、大きな横揺れが一度。教室のある横長の建物が前後に動いたのをはっきり覚えています。

クラスメイト達は悲鳴を上げて大騒ぎ、先生は情報を収集するために「騒ぐなよ!」と一喝して職員室に立ち去ってしまいました。その後は余震もなく、緊急集会の類もなかったのですが、あの教室の建物が大きく揺れた恐怖は、今でも記憶から離れません。できればあんな経験はもう二度としたくありません。

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