過去の巨大地震一覧

更新日:2017年5月18日

こちらのページでは、過去に巨大地震と呼ばれるほどの被害を発生させた大きな地震を地方別にご紹介しています。20世紀以降だけでも日本各地で巨大地震が発生しておりますので、火災保険の契約の際には地震保険も前向きに検討してみてください。

北海道

北海道で20世紀以降に発生した大地震の一覧です。北海道では道東を中心に過去多数の地震が発生しているほか、海岸線が長いため津波も起きています。また、冬は積雪が非常に多く、雪による被害も発生しています。なお、道東だけではなく、今後は道内の他のエリアでも地震が起きる可能性がありますので、注意が必要です。

択捉島沖地震(1918年・1958年・1963年)

択捉島沖地震は、1918年9月8日と1958年11月7日と1963年10月13日の3回にわたって発生している大地震です。マグニチュードは順に8.0・8.2・8.1でした。いずれの地震でも津波が発生し、1918年には津波による死者も出てしまいました。また、今後数十年内にこの近辺で大地震が起きる確率が高いとされています。

体験談

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十勝沖地震(1952年・1968年・2003年・2008年)

十勝沖地震は、1952年3月4日や2003年9月26日や2008年9月11日などに発生した複数の大地震の総称です。1952年に震度6、2003年に震度6弱、2008年に震度5弱を記録しています。特に被害が大きかったのは1952年で、揺れに加えて津波のも発生し、300人以上の死傷者と多数の建物損壊が出てしまいました。

体験談

●●1968年に北海道道南から青森県を襲った十勝沖地震を体験しました。当時、私は6歳で小学1年でした。朝、授業が始まったばかりの時間でした。教室の壁のモルタルが剥げ落ちて、強い地震になりました。先生は薪ストーブを必死に抑えていました。グランドに集まった時、不安で泣き出す生徒もいました。

家に帰る途中、街で何軒か家が崩れていました。自宅も水槽が壊れ、ガラスが割れていました。夜は停電しそれが二日間続きました。ろうそくの明かりを家族で囲みながら過ごしたことをよく覚えています。道路も何ヶ所か亀裂が走っていました。

私が生まれて初めて体験した大きな被害の出た地震です。私の家は新築したばかりだったので、それほど被害はありませんでした。

●●十勝地方はもともと地震が多く、震度3弱くらいの地震なら日常茶飯事で話題にもならないくらい住人は地震慣れしていますが、2003年の十勝沖地震の際はさすがに大騒ぎになりました。

幸い、我が家は地盤が強い地区にあり、棚の上に飾っていたものが落ちた程度の被害で済みましたが、揺れが強かった地域に住む親戚の家では「テレビが落下する、本棚がずれて本が落ちる」など、一歩間違えたら大怪我に結びつきかねない被害がありました。

我が家でも親戚の家でも、家具を固定する措置を全くしていなかったために起きた被害でした。地震が多い地域に長く住んでいても、地震に対する備えや心構えが予想以上にできていないことを痛感しました。

あれ以来、親戚一同で耐震対策に気を使うようになり、おかげで2008年に再び大きな地震があった際には以前より少ない被害で済みました。

色丹島沖地震(1969年)

色丹島沖地震は、1969年8月12日の6時27分に発生したマグニチュード7.8の大地震です。震源地は色丹島南東沖で、北海道釧路市や根室市などで最大震度4を記録しました。震源地が陸から離れていたことや、深さもある程度あったことから、マグニチュードの割に大きな揺れは観測されず、被害も軽微なレベルで済みました。

体験談

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根室半島沖地震(1973年)

根室半島沖地震は、1973年6月17日の12時55分に発生したマグニチュード7.4の大地震です。震源地は北海道根室半島南東沖で、釧路市や根室市などで最大震度5を記録しました。また、一週間後の6月24日には余震が発生し、こちらも震度5を観測しています。津波は起きたものの、幸いなことに死者は0で済みました。

体験談

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浦河沖地震(1982年)

浦河沖地震は、1982年3月21日の11時32分に発生したマグニチュード7.1の大地震です。震源地は浦河郡浦河町南西沖で、浦河町で最大震度6を記録したほか、道内の各地や青森県の一部で震度4~5を観測しています。数百軒の建物に損壊が発生したほか、負傷者も150人以上出てしまいましたが、死者は出ずに済みました。

体験談

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釧路沖地震(1993年)

釧路沖地震は、1993年1月15日の20時06分に発生したマグニチュード7.5の大地震です。震源地は釧路市南方沖で、釧路市で最大震度6を記録したほか、帯広市や青森県八戸市などで震度5を記録しています。なお、この地震による地震保険の支払い額が非常に大きかった(戦後最大)ため、以降の地震保険の見直しが行われました。

体験談

●●私は地震当時、釧路市の隣の帯広市に住んでいました。帯広市は震度5を計測しましたが、これほど大きな地震を経験するのは初めてであったため、とてつもない恐怖でした。

小学5年生であった私は、恐ろしさのあまりずっと父親に抱きついていました。その最中にも食器棚からはコップや皿が落ちて割れる音がしていたり、窓が激しく揺さぶられて割れてしまうのでは思うほど激しい揺れが1分くらい続いたと思います。

地震直後は停電になってしまい、私の地域では30分くらい電気が全くつかない状態でした。季節は冬であったためとても寒かったですし、電気のない時間を経験するのも初めてであったので、何が何だかわからない状況でした。幸いにも私の家族に怪我はありませんでした。

北海道南西沖地震(1993年)

北海道南西沖地震は、1993年7月12日の22時17分に発生したマグニチュード7.8の大地震です。震源地は奥尻郡奥尻町北方沖で、小樽市や寿都郡などで最大震度5を記録したほか、推定ではありますが震源に近い奥尻町では震度6に相当するとされています。大きな津波が発生し、津波だけでも200人近い死者を出してしまいました。

体験談

●●1993年の北海道南西沖地震を経験しました。私が住んでいる地域では震度4でしたが、それまでに経験した地震の中では一番大きな地震であり、被害もまた大きなものでした。

それまではテレビやタンス等の大きな家具はそのまま置いていましたが、この地震を機に、家具が倒れないように必ず転倒防止金具で固定するようにしたのを覚えています。

翌朝テレビ画面に映っていたのは、津波にのみ込まれたうえに火災が発生し、どうすることもできない状況に陥っていた奥尻島の姿でした。この津波被害の後、やむなく奥尻島を離れなければならなくなった人たちを、私は数人知っています。

この時から「地震=津波」であり、大地震は一瞬にしてそれまでの人々の暮らしを一変してしまうものだという事を、強く意識するようになりました。地震大国で暮らしている以上、常に地震の存在を忘れず、民間レベルでもできる限りの危機管理を意識することが大切だと思います。

北海道東方沖地震(1994年)

北海道東方沖地震は、1994年10月4日の22時22分に発生したマグニチュード8.2の大地震です。震源地は根室半島沖で、釧路市や厚岸郡で最大震度6を記録しました。その衝撃は道内だけに留まらず、東北地方や関東地方の広域でも震度3~4を観測しています。更に中部地方である静岡県熱海市でも震度3の揺れが確認されました。

体験談

●●私は中学生の頃に北海道東方沖地震を体験しました。この地震は夜の10時半くらいに発生したため、私は布団の中にいました。地震が起きた時には夢を見てるのか現実なのか、正直何が起きているのかわからない状態でした。ただ、地震前に地割れのような「ゴー」という音が聞こえていた記憶はありました。

私は家の2階で寝ていたのですが、下から聞こえる母親の「逃げなさい!」という叫び声を聞いて、地震なんだ!と感じるのがやっとでした。ただ、逃げるというよりも私はその場から動けませんでした。

揺れは大きな横揺れでしたが、40秒ほどでおさまりました。この地震では停電になることはありませんでした。ただ、余震が何度も来て恐怖のせいかその日はなかなか寝付くことができなかったです。

東北地方

東北地方で20世紀以降に発生した大地震の一覧です。2011年に発生した、観測史上最大の地震である東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が日本列島に非常に強い衝撃を残しましたが、東北地方では過去にも何度も大地震が発生しています。津波はもちろんのこと、土砂崩れなどの二次災害にも十分な注意が求められます。

昭和三陸地震(1933年)

昭和三陸地震は、1933年3月3日の2時30分に発生したマグニチュード8.1の大地震です。震源地は岩手県釜石市東方沖で、岩手県宮古市や宮城県仙台市や福島県福島市などで最大震度5を記録しました。揺れによる被害も少なくありませんでしたが、津波による被害が顕著でした。死者行方不明者は3,000人を超えてしまいました。

体験談

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宮城県沖地震(1978年・2005年)

宮城県沖地震は、1978年6月12日の17時14分に発生したマグニチュード7.4の大地震や、2005年8月16日の11時46分に発生したマグニチュード7.2の大地震などの総称です。1930年代にこの近辺で発生した震度4~5の複数の地震や、20世紀以前の大地震も含まれます。2005年の地震では最大震度6弱を記録しています。

体験談

●●宮城県沖地震があった時、旦那と私は2階で食事中でした。うちの愛犬たちは3階のベランダで日向ぼっこをしていました。地震の経験は一度や二度ではありませんので、慣れている私は「あ、これは大きいぞ」と思った瞬間、まずは1階に駆け下り玄関を開けて逃げ道を確保。

それから猛ダッシュで3階へ駆け上がり、ワンちゃんたちの救助へ。ワンちゃんたちは逃げることも忘れ、大きな揺れに怯えてるだけ。ワンちゃんたちは家族同然ですから、私は二匹を両脇に抱きかかえ階段を降り、もう一匹はその私のあとを追ってきてくれたので、三匹を玄関から外に放り出しました。

外に先に逃げていた旦那にバトンタッチで犬を預け、私は再び2階へあがり、キッチンの火の元をチェック。もうその時には揺れは収まっていましたが、なんだか、火事場の馬鹿力ではないですが、結構こういう時に身体は動くもんだと思いました。今思うと、よくうちのデブ犬2匹を両脇にかかえて3階から降りてきたと思います。

日本海中部地震(1983年)

日本海中部地震は、1983年5月26日の11時59分に発生したマグニチュード7.7の大地震です。震源地は秋田県能代市西方沖で、秋田市や青森県むつ市などで最大震度5を記録しましたが、震源地に近い能代市では震度5以上の揺れがあったとされています。ちなみに、当時は能代市に地震計が設置されていませんでした。

体験談

●●日本海中部地震が来るまで、津波の意識がものすごく低かったと思います。誰が話したのかは分かりませんが「秋田側には津波は来ない」というありえない定説ができていました。これは秋田の大多数の人が思い込んでいたことでした。なぜか、津波が来たら海に逃げれば安全という話もありました。とても恐ろしいことです。

私の祖父は漁師で、私は海沿いに住んでいました。激しい揺れの後、「ごーっ!」という音と共に、海の壁が迫ってきたのを覚えています。私の家は、高台にあるため被害はありませんでしたが、祖父は大変怖い思いをしたと話してくれました。

また、このありえない定説を信じた、遠足に来ていた13人の小学生の児童は、津波が来たにも関わらず、海から逃げなかったため、全員亡くなってしまいました。とても悲しいでき事でした。

三陸はるか沖地震(1994年)

三陸はるか沖地震は、1994年12月28日の21時19分に発生したマグニチュード7.6の大地震です。震源地は青森県八戸市東方沖で、青森県八戸市で最大震度6を記録したほか、同県むつ市や青森市や岩手県盛岡市で震度5を観測しています。また、この地震の10日後にはマグニチュード7.2の余震が発生しています。

体験談

●●青森に単身赴任中の年末に、三陸はるか沖地震を経験しました。それまでに味わったことの無い激しい揺れで、室内がグチャグチャになったのを覚えています。それを裏付けるように、震度は6とテレビのテロップに出ていました。

今思い出してもゾッとするのは、地震の直前まで夕食の調理でガスコンロを使っていたという点です。私は運がよかったのです。もし少し時間がズレていたら…と思うと、真っ青になってしまいます。

あの日の経験から、台所に家庭用の消化器を設置するようになりました。地震で怖いのはやはり火の管理だと思います。もちろん、冷静に対応するのが一番大切であるのは言うまでもありません。地震に対する意識を強く持つようになったでき事になりました。

宮城県北部地震(2003年)

宮城県北部地震は、2003年7月26日の7時13分に発生したマグニチュード6.4の大地震です。震源地は宮城県北部で、同県遠田郡や東松島市で最大震度6強を記録しました。また、同日の0時13分と16時56分にも宮城県で震度6弱の地震が発生し、震度6レベルの大地震が1日に3回も発生するという非常に稀なケースとなりました。

体験談

●●当時私は3交代の工場勤務をしていました。後に前震とされた3回のうちの最初の地震は、日付が変わったばかりの頃に起こりました。私は夕方4時から11時半までの遅番勤務を終え、自宅に帰り着いたばかりでした。既に寝ていた父と母は大きな揺れに驚いて起き出していましたが、その時点では大きな被害はありませんでした。

朝の7時過ぎに発生した本震では、私の自室の本が全て書棚から崩れ落ち、テレビ台からテレビが落下しました。慌てて降りた階下では、食器棚からほとんどの食器が飛び出し、和室の土壁の一部が崩れ落ちていました。

岩手・宮城内陸地震(2008年)

岩手・宮城内陸地震は、2008年6月14日の8時43分に発生したマグニチュード7.2の大地震です。震源地は岩手県内陸南部で、岩手県奥州市や宮城県栗原市で最大震度6強を記録しました。内陸部が震源地となったため、土砂崩れや山体崩壊などが各地で発生し、揺れを直接の原因としない被害も少なくありませんでした。

体験談

●●当日は研修の予定があり、自宅から父の車に乗せてもらい、駅に向かっている最中に車内で地震に気がつきました。最初に車がぐらついた際には、タイヤがパンクしたか、車自体にトラブルが起きたのではないかと思い、父も急いで道路の路肩に寄り、停車したのですが、それでもゆれ続けたため、そこで地震だと気がつきました。

周囲の街灯や信号機も揺れ、少し気持ちの悪い揺れ方をしたため、不安になり、自宅に携帯電話から連絡をするも、つながりづらく、3回目でやっと自宅に電話がつながり、自宅にいた母の安否も確認することができ、安心したことを覚えています。

その後、駅に向かったのですが、電車が運休しており、結局研修の予定も延期となったため、そのまま一度自宅に戻ることになり、自宅に帰ってみると、台所の棚から落ちたのか、いくつか食器が割れ、2階の床の間においていた人形のガラスケースも倒れて割れていました。

これを機に、戸棚に関しては地震の際に勝手に開かないように留め金を新しく付け、ガラスケースなどの割れやすいものに関しては、設置位置を変えたり、倒れにくくするマットを使い、次に地震が来た際には少しでも自宅内での被害が少なくなるよう対策をするようになりました。

東日本大震災(2011年)

東日本大震災は、2011年3月11日の14時46分に発生したマグニチュード9.0の大地震です。震源地は三陸沖で、宮城県栗原市で最大震度7を記録したほか、東北地方南部や北関東の広域にわたって震度6強を観測しています。津波による被害が非常に大きく、死者だけでも15,000人を超えるという大惨事となってしまいました。

体験談

●●日本は地震国ですから、いつ地震があってもおかしくないし、実際、此れまでにも幾度となく地震には遭遇してきている訳です。しかし、盛岡市で東日本大震災に遭い、この時はもう家がつぶれると思いました。

しっかりと目に見えて揺れるのです。どれぐらい横に揺れたかというのが分かるのです。大きくガタガタと揺れ始めた時には観念して、それでも少し揺れが収まったときに、家にいる御婆ちゃんと一緒に外にでました。外に出ると、ご近所の方も出ていたので一緒に一箇所に固まっていました。

学校から帰ってきたお隣の子供さんたちは、家が停電になってしまいキーがあけられない状態になって、我が家のトイレを借りてから、近くの親戚の家へ行きました。

幸い、あまり被害はなかったのですが、キレイに重ねた収納していた食器は本当に何事もなかったようにそのままの状態で、不安定なつくりの食器は3枚割れていました。食器棚や本棚やタンスといったものは、全て倒れないようにツッカエをしてありましたから、大丈夫でした。

あと、電気の復旧が遅かったですから、実際にどんなことが起きているのかは分かりませんでした。携帯ラジオからの情報だけが頼りになりました。

ストーブは灯油ストーブで反射型のカートリッジ式があり、電気を使わなくとも使用できたので、本当に捨てずに置いてよかったと思いました。しばらくは余震が続きましたから、二階の部屋で寝るのが怖くて、一回の居間で皆で寝て暮らしました。

なお、東日本大震災で非常に怖い経験をした後、またいつ大きな地震があるか分かりませんので、地震保険と火災保険に新たに入りました。

関東地方

関東地方で20世紀以降に発生した大地震の一覧です。大正関東地震(関東大震災)が最も有名ではありますが、20世紀後半以降にも伊豆諸島において複数回の大地震が発生しています。また、過去の統計上のデータから、今後数十年以内に関東地方で再び大地震が起きる可能性が高いとされていて、十分な注意が必要とされます。

関東大震災(1923年)

関東大震災は、1923年9月1日の11時58分に発生したマグニチュード7.9の大地震です。震源地は神奈川県西部で、東京都内や山梨県甲府市や神奈川県横須賀市などで最大震度6を記録しました。また、震源地からある程度の距離がある栃木県宇都宮市や千葉県銚子市や長野県長野市などでも震度5を記録しています。

なお、当時は震度の最大値が6であったため、各所の最大震度も6となっていますが、震源地に近い神奈川県小田原市や房総半島南部などにおいては、現在の震度7に相当する揺れであったとされています。

体験談

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八丈島東方沖地震(1972年)

八丈島東方沖地震は、1972年12月4日の20時6分に発生したマグニチュード7.2の大地震です。震源地は八丈島東方沖で、東京都八丈町で最大震度6を記録しました。八丈町ほどではないものの、東京23区内でも震度4を記録しています。なお、八丈島では同年2月29日にも震度5の地震が発生していて、余震の回数も多かったです。

体験談

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伊豆大島近海の地震(1978年)

伊豆大島近海の地震は、1978年1月14日の12時24分に発生したマグニチュード7.0の大地震です。震源地は伊豆大島近海で、伊豆大島や神奈川県横浜市などで最大震度5を記録しました。250人ほどの死傷者が出たほか、猛毒を含む廃水が鉱山の貯水池から流れ出し、川や海に流れ出たことから、魚介類の被害も大きかったです。

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中部北陸地方

中部北陸地方で20世紀以降に発生した大地震の一覧です。他の地方と比べても圧倒的に大地震が数多く発生している地域です。中部地方はとても広いですが、太平洋側でも日本海側でも内陸部でも、過去に大きな地震が起きています。21世紀に入ってからは北陸が3回も大地震に襲われており、今後も注意が必要となります。

東南海地震(1944年)

東南海地震は、1944年12月7日の13時35分に発生したマグニチュード7.9の大地震です。震源地は熊野灘沖で、静岡県御前崎市や愛知県田原市や三重県津市などで最大震度6を記録し、死者と行方不明者が1,200人を超える大きな被害となってしまいました。なお、20世紀以前に近辺で発生した大地震も東南海地震と呼ばれます。

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三河地震(1945年)

三河地震は、1945年1月13日の3時38分に発生したマグニチュード6.8の大地震です。震源地は愛知県三河湾で、三重県津市で最大震度5を記録しましたが、より震源に近い地域では現在の震度7に相当する揺れが発生したと言われています。前年に発生した東南海地震を上回る人的被害があり、建物の倒壊も非常に多かったです。

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福井地震(1948年)

福井地震は、1948年6月28日の16時13分に発生したマグニチュード7.1の大地震です。震源地は福井県坂井市丸岡町で、福井市内で最大震度6を記録したほか、中部・北陸・近畿地方の広い範囲で震度4を観測しています。当時人口が20万人ほどであった福井市に被害が集中していて、25,000人もの死傷者が出てしまいました。

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北美濃地震(1961年)

北美濃地震は、1961年8月19日の14時33分に発生したマグニチュード7.0の大地震です。震源地は岐阜県大日ヶ岳で、岐阜県内で最大震度5を記録しましたが、震源地が山中であったことから、震源付近は震度6以上の揺れがあったとされています。また、地滑りや落石や土砂崩れなどといった災害が近隣の住民を襲いました。

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新潟地震(1964年)

新潟地震は、1964年6月16日の13時1分に発生したマグニチュード7.5の大地震です。震源地は新潟県粟島で、新潟市や山形県新庄市や福島県南会津郡などで最大震度5を記録しました。日本海側で発生した地震ではありますが、東北地方や北関東などの広域で強い揺れが観測され、太平洋側の仙台でも震度5を観測しています。

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松代群発地震(1965年~1970年)

松代群発地震は、1965年8月3日から1970年6月5日まで断続的に続いた群発地震です。この間の地震の回数は70万回を超え、実際に震度を記録した有感地震は6万回を超えました。震度5を9回、震度4を48回も計測しています。回数は凄まじいですが、揺れ自体はさほど大きくなかったため、被害は比較的小さくて済みました。

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伊豆半島沖地震(1974年)

伊豆半島沖地震は、1974年5月9日の8時33分に発生したマグニチュード6.8の大地震です。震源地は静岡県石廊崎で、静岡県賀茂郡南伊豆町で最大震度5を記録しました。南伊豆町以外では震度5は観測されなかったため、この地震による被害は同町に集中し、死者30人と負傷者100人以上の被害が出てしまいました。

体験談

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長野県西部地震(1984年)

長野県西部地震は、1984年9月14日の8時48分に発生したマグニチュード6.8の大地震です。震源地は長野県木曽郡王滝村で、同地で最大震度6を記録しました。直下型地震であったことに加え、震源が浅かったことから、王滝村に被害が集中しました。揺れによる被害よりも、揺れに誘発された土砂崩れによる被害が多かったです。

体験談

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新潟県中越地震(2004年)

新潟県中越地震は、2004年10月23日の17時56分に発生したマグニチュード6.8の大地震です。震源地は新潟県中越地方で、新潟県長岡市で最大震度7を記録したほか、同県小千谷市でも震度6強を記録しています。震度7という非常に強い揺れを記録したのは、阪神淡路大震災以来のことで、死傷者も多く出てしまいました。

体験談

●●新潟県中越地震が起こった時、私は自分の家にいました。ニュースによれば、私が住んでいた地域は「震度4」の揺れでしたが、その割には強い揺れだなと思いました。テレビを見て、震源地が父の実家に近いところだったことがわかりました。

私の父は長岡市出身で、私がまだ小さいころ、何度も連れて行ってもらった覚えがあります。その中でも全村避難を余儀なくされた旧山古志村に遊びに行ったことがあり、ニュースの映像を見るたび心が痛みました。家が全壊してしまった親戚もいます。今でも仮設住宅に住んでいます。

また、父が長男で本家を継いでいたため、地震によって壊れてしまった墓は、実家のある群馬に移されました。遠いところの地震でも、心理的にかなりの影響を受けたのが今でも印象として残っています。

能登半島地震(2007年)

能登半島地震は、2007年3月25日の9時41分に発生したマグニチュード6.9の大地震です。震源地は石川県輪島市西南西沖で、石川県輪島市や七尾市や鳳珠郡で最大震度6強を記録しました。また、この地震は余震が非常に多かったことでも知られ、合計500回以上もの有感地震が発生しました。震度5弱も複数回発生しています。

体験談

●●それまで強い地震にあったことが無かったので、揺れの強さに驚くばかりでした。最初は少し揺れたかな…という感じでしたが、急に強い横揺れが10秒くらい続きました。物はガタガタと音を立てて激しく揺れていました。台所にあったオーブントースターが落下して破損したことをよく覚えています。

外出していた母から電話が掛かってきて、安心したと同時に今後の注意が必要だと思いました。強い揺れはこの1回で、その後も体に感じる揺れはそんなに無かったです。私の地域は震度4で済みましたが、あの時の石川県の震源に近いところの惨状を見ると、凄いことが起こったと今でも感じます。

今でも「地震があるから、いつでも万全の備えが必要だ」という考えは変えていません。その後、東日本大震災でその思いはさらに強くなりました。何時起こるかわからないので、今後も備えはしっかりしていきたいと思います。

新潟県中越沖地震(2007年)

新潟県中越沖地震は、2007年7月16日の10時13分に発生したマグニチュード6.8の大地震です。震源地は新潟県中越地方沖で、新潟県長岡市や柏崎市や長野県上水内郡などで最大震度6強を記録しました。3年前の新潟県中越地震と同様に、多数の死傷者を出してしまったほか、約7万棟の建物が全壊もしくは損壊しました。

体験談

●●新潟中越沖地震のときは、私は自宅にいました。食器棚がすごく揺れてたくさん食器がダメになってしまいましたが、家自体(建物)の損害はほとんどなかったのが唯一の救いでした。

新品のポットも壊れてしまったのはショックでしたが、この体験を教訓にして、壊れやすい食器類は低い位置に置くように配置換えをしつつ、衝撃吸収効果のあるシートの上に皿を載せたりしました。肝心の開き戸の対策には、地震の揺れを感知して自動的にロックがかかる「ひらかんぞー」という商品を設置してみました。

食器棚の対策のほかに、防災対策として、ライフラインが止まったときのためにミネラルウォーターの買いだめをしています。近くに祖母が住んでいるので、祖母の分も考えて、水が安いときにチョコチョコ買うようになりました。

●●私は新潟市内に住んでいる会社員です。2007年の中越沖地震発生時、私と家族は震源地からはかなり離れた新発田市という街で買い物をしていました。

大型ショッピングセンターの駐車場で車から出た瞬間、地面がぐらりと動いているのがわかりました。急いでショッピングセンター内に入ると、店内では新潟県内で地震が発生した旨を放送しており、家電コーナーではお客さんたちが何人もテレビのニュースに釘付けになっていました。

震度6との報道に私たち家族はみな驚き、2004年の中越地震の再来かと思って恐くなりました。たった3年しか経っていないのに、このような大型地震が再び起こるなど、誰も思ってもみなかったからです。

この地震発生数ヵ月後、仕事で震源地近くへ行ったのですが、高速道路は一部段差ができ、ブルーシートのかけられた家も目立ちました。被災された方のことを思うと、とても胸が痛んだ出来事でした。

関西近畿地方

関西近畿地方で20世紀以降に発生した大地震の一覧です。この地方では兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)が非常に有名で、日本で初めて震度7を計測した地震としても知られています。他の地方と比べると地震の回数は少ないのですが、人口が密集しているため、経済的な被害だけではなく人的被害も大きくなる傾向があります。

北丹後地震(1927年)

北丹後地震は、1927年3月7日の18時27分に発生したマグニチュード7.3の大地震です。震源地は京都府丹後半島北部で、兵庫県豊岡市や京都府宮津市や奈良県奈良市などで最大震度6を記録しました。揺れによって倒壊した家屋が多かったほか、多数の事務所や工場も火事で焼失し、1万人以上もの死傷者を出してしまいました。

体験談

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昭和南海地震(1946年)

昭和南海地震は、1946年12月21日の4時19分に発生したマグニチュード8.0の大地震です。震源地は紀伊半島沖で、岡山県岡山市や三重県熊野市や兵庫県淡路市などで最大震度6を記録しました。揺れや火災による被害が大きかったほか、複数地点で高さ数メートルの津波が訪れ、それによる被害も非常に大きなものでした。

体験談

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阪神淡路大震災(1995年)

阪神淡路大震災は、1995年1月17日の5時46分に発生したマグニチュード7.3の大地震です。震源地は兵庫県淡路市で、兵庫県神戸市や芦屋市などで最大震度7を記録したほか、近畿地方と四国地方の広域にわたって震度4以上の揺れが観測されました。大都市直下型の地震であったことから、被害も大きくなってしまいました。

体験談

●●当時、大阪府の寝屋川に住んでいましたが、朝の6時前だったと思います。ベットで寝ていましたら、長い時間揺すられ、地震であると感じましたので、すぐにテレビをつけて見ました。すると、阪神高速道路の高架が倒れ、すごい状態になっており、慌てて「会社の状態はどうだろう…」と思い、駅に向かいました。

当然、電車の運行ダイヤは乱れ、駅のホームが人で埋まっていました。電車の到着時間など予想もつかず、かなりの時間をホームで待ちました。

電車到着とともに、かき分ける様に車内に乗り込み会社に向かいましたが、会社の中も棚などが倒れ、片付けが大変でした。通常の仕事もできず、その日は片付けだけの日になってしまいました。

中国四国地方

中国四国地方で20世紀以降に発生した大地震の一覧です。過去の記録を見ると安芸灘を震源地とした大きな地震が複数回発生していますが、それ以外の地域ではさほど地震は多くありません。ただ、昔は地震が非常に発生しにくいとされていた鳥取県で大地震が発生していますので、普段から防災の意識を持っておくことが大事です。

芸予地震(1905年・2001年)

芸予地震は、1905年6月2日と2001年3月24日に発生した地震のことです。震源地は共に安芸灘で、マグニチュードはそれぞれ7.2と6.7です。1905年は震度を数値で表していませんでしたが、2001年は広島県内の複数地点で震度6弱を記録しています。なお、19世紀以前に近辺で発生した複数の大地震も芸予地震と呼ばれます。

体験談

●●2001年、愛媛県松山市にて芸予地震に遭遇しました。当時は市内のイベント会場にいたのですが、地鳴りとともにひどい揺れが来て、展示ブースの陶磁器が落ちて「パリン、パリン」と割れる音があたりに響き渡りました。

今まで感じたことのないひどい揺れに場内は一時騒然としましたが、揺れが収まった後は余震もなく、周囲の人も次第に落ち着きを取り戻しました。ただ、電話がしばらくつながらない状態でしたので、家族に連絡が取れるようになるまで落ち着かなかったのを覚えています。

地震の被害状況の全体像が分からないのはとても不安でした。それまでの人生で大きな地震というものに遭遇したことはなく、自分の住んでいるところは災害の少ない地域だと勝手に思い込んでいたことを反省させられた一日でした。

鳥取地震(1943年)

鳥取地震は、1943年9月10日の17時36分に発生したマグニチュード7.2の大地震です。震源地は鳥取県東部で、鳥取市で最大震度6を記録したほか、岡山県岡山市でも震度5を記録しました。木造住宅が多かったため、揺れによる建物の全壊率は8割以上にも及び、死傷者数も1,000人を超えるという結果になってしまいました。

体験談

●●募集中!

鳥取県西部地震(2000年)

鳥取県西部地震は、2000年10月6日の13時30分に発生したマグニチュード7.3の大地震です。震源地は鳥取県米子市南方で、鳥取県境港市や日野郡などで最大震度6強を、その他の鳥取県内各地で震度6弱を記録しました。建物の被害は多かったものの、これだけの強い揺れであったにも関わらず、死者は発生せずに済みました。

体験談

●●私は2000年の鳥取県西部地震を体験しました。この時、私は人生で初めてこの規模の大地震を体験して、かなり動揺した事を憶えています。この地震が起きた時、私はちょうど自分が経営していた店の店番をしていました。その店というのが、酒屋という事もあって、地震が起きた事で大惨事となりました。

店の棚に置いてあった酒のほとんどが棚から落ちました。その中にはもちろん高級な酒もあったので、その損害額はとんでもないものでした。しかも、それで店中酒浸しになりましたので、店中がお酒の匂いが充満してすごく臭くなりましたし、その後の掃除も大変でした。

今のところ、この鳥取県西部地震が私が体験した地震で一番すごい地震でした。もう、あんな大地震は勘弁して欲しいです。

九州地方

九州地方で20世紀以降に発生した大地震の一覧です。回数だけを見ると日向灘が断トツで多いのですが、特に揺れの大きな地震は九州地方南部で観測されています。そのため、福岡や佐賀などといった北部の県でも、宮崎や鹿児島などといった南部の県でも、日頃から地震に対する備えを万全にしておくことを強くおすすめします。

日向灘地震(1909年~1996年)

日向灘地震は、日向灘を震源地として度々発生している大地震です。20世紀以降だけでも震度4~5の地震が13回も起きています。これまで震度6を超えるような揺れはなく、1990年代以降は死傷者も出ていませんが、いつまた大きな揺れが襲ってくるか分かりませんので、これからも防災意識を高く持つ必要があります。

体験談

●●日向灘地震に遭遇しました。私が小学校へ通っていた時のことであり、学校の国語の授業を受けていたら、いきなり激しく揺れ出したのを覚えています。

地震が起き教師が「みんな机の下に隠れて!」と絶叫しているのを、子供たちは面白がって笑っていました。子供の時は想像力や知識が足りず、震災が起きても意外にあっけらかんとしていますが、大人になると地震は命や健康や資産などを奪うものであると実感し、とても恐ろしいものと認識します。

私も子供でしたので、先生の言う事を聞いて机の下に隠れつつも、激しく揺れるのを面白がっていました。けれども、大人になって他の地震も体験してからは地震がいかに恐ろしいものなのかを知り、今では少し揺れるとすぐに机の下に隠れています。

喜界島地震(1911年)

喜界島地震は、1911年6月15日の23時26分に発生したマグニチュード8.0の大地震です。震源地は鹿児島県喜界島南方で、奄美大島で最大震度6相当、沖縄県那覇市で震度5相当の揺れを観測し、南西諸島最大の地震として知られています。なお、現在も詳細は分かっていないものの、海溝型地震であると考えられています。

体験談

●●募集中!

えびの地震(1968年)

えびの地震は、1968年2月21日の10時44分に発生したマグニチュード6.1の大地震です。震源地は宮崎県えびの高原で、えびの市で最大震度6を記録したほか、九州地方全域で揺れが観測されています。同日の朝夜にもそれぞれ震度5の地震が発生していて、朝は前震、夜は余震とされています。47名の死傷者が出てしまいました。

体験談

●●募集中!

福岡県西方沖地震(2005年)

福岡県西方沖地震は、2005年3月20日の10時53分に発生したマグニチュード7.0の大地震です。震源地は福岡県西方沖で、福岡県福岡市と佐賀県三養基郡で最大震度6弱を記録したほか、福岡県と佐賀県の広域で震度5強の強い揺れが観測されました。また、ちょうど1ヶ月後の4月20日に震度5強の余震も確認されました。

体験談

●●普段テレビなどで地震のニュースが流れると、「大変だな…」とどこか他人事のような気持ちなのですが、実際に体験してみると怖くてたまりませんでした。

最初は軽い揺れから始まり、「地震かな?」といった程度の気持ちだったのですが、段々と揺れを増していって立っていられなくなりました。その時は本当にパニック状態で、逃げ出すのもままならずに床にへたり込んでしまいました。

聞くのと体験するのとでは大違いで、迅速な対応どころではありませんでした。物は落ちるし、目の前にある景色が上下左右に揺れるのです。正直、もう終わりかな…と思ってしまうほどでした。

その後は、落ちて壊れてしまったテレビの代わりに携帯電話についてテレビをつけて、家族と一緒に毛布に包まって震えながらニュースにかじりついていたことを今でも覚えています。この経験を通じて思ったのは、地震に対する対策や準備は絶対必要だということです。起こってからでは遅いのです。

●●福岡県西方沖地震があった日、日曜で休日だったため、私は昼まで寝ようとベッドの上にいました。

住んでいた地域では震度4でしたが、強烈な揺れでベッドがガタガタと揺れ目を覚まし、驚きのあまり「逃げよう」とか「倒れてくるものは無いか」など考える余裕は一切なく、ただ布団の上でパニックになっていました。揺れている間は、声を出すことも動くこともできず、本当に怖かったです。

揺れがおさまると「みんな怪我はない?」など家族で声をかけあい、全員の無事を確認。その後、友人に安否確認をとりましたが、ちょうど福岡ドームで行われていた蘭の博覧会でバイトをしていた友人は、無事だったものの大きな鉢植えが倒れたり割れたりと非常に怖かったそうです。

また、別の友人は大きな食器棚が体のすぐ横で倒れ、ちょっとズレていたら下敷きになっていたと話していました。それ以降、寝室には背の高い家具や、重い家具は一切置いていません。

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